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覚永寺のこと

覚永寺の山門と本堂の屋根。

覚永寺の歴史は天保年間(1532-1555)にまでさかのぼります。

 

播州・市の川城主市野但馬守正明は、戦利あらずして亡命し、当地に逃れました。大原山に籠って再挙を図ったものの、その成り難きを悟り、発心して僧となったのです。名を西明と改め、覚永寺を創建し、天文22年(1553)4月8日没します。

 

その後、覚永寺は再三の火災に罹り、縁起・記録などは悉く焼失して現存するものはありません。現今の本堂は文政11年(1828)4月、第12世住職洪音の代に再建したものです。

西明から数えて第13世にあたる浄遊は、120代仁孝天皇の学問所に禁裡官として挙げられ、勅許法橋位を授かり、権律師に任ぜられました。その勅許状は現存しています。また、当寺は真宗学史上の碩学(勧学)実成院仰誓師(市木・浄泉寺第11世/1721-1794/74歳)の終焉の地です。
 

大原山覚永寺と刻まれた石碑。

名称

大原山 覚永寺( おおはらざん かくえいじ

法人名

宗教法人 覚永寺

所在地

697-0005 浜田市上府町イ261
TEL 0855-28-1078 FAX 0855-28-1126

本尊

阿弥陀如来( あみだにょらい
南無阿弥陀仏(
なもあみだぶつ

宗祖

親鸞聖人( しんらんしょうにん

教区・組

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